障碍者が、支援学校高等部ではなく高等学校を選択することには障碍者の保護者からすら批判があります。でも、何がいけないのでしょう

障碍者が、支援学校高等部ではなく高等学校を選択することには障碍者の保護者からすら批判があります。でも、何がいけないのでしょう。障碍者に学歴をつけても仕方ない、障碍者の訓練だけしていればいい。それで本人は幸せなのでしょうか。

障碍者で感動「させる」のではなく人間の生き様に感動「する」

このブログでは、難病(医療ケア児者)や障害のある人が、ハンデを乗り越えて自己実現や社会復帰を達成した話を数例ご紹介しています。

それに対して、正直なところ、批判的なご意見もあります。

まずは、それにに対する回答から述べていきたいと思います。

ご批判の趣旨は、次のような内容です。

このブログでは、24時間テレビなどについて、「障碍者を感動の道具に扱っている」と、“感動ポルノ”に批判的である。

しかし、自分の記事だって障害者を感動の道具にしているではないか。

今回はまず、これに回答します。

感動(するかしないか)は、受け手の主観の問題なので、それ自体にいいも悪いもありません。

だからこそ、『24時間テレビ』のような、実在の障害者や余命幾ばくもない重篤な状態の人を使って、感動「させる」ことが目的化したような番組の作り方には無理があると私は思います。

感動は「する」ものであって、させたりさせられたりするものではない、ということです。

あるアンケートでは、障碍者の90%が『24時間テレビ』を嫌いという結果が出ています。

ところが、同じ調査では45%の健常者が、『24時間テレビ』を「好き」と答えています。

ま、だから40年以上も続いているんでしょうけどね。

「障害者の90%」が嫌いとする「理由」はいくつか考えられますが、少なくとも当事者から見て、虚偽、センセーショナリズム、のぞき見趣味、同情を伴った感動のような上から目線などが嫌なのでしょう。

一方、「45%の健常者」が「好き」というのは、実は本当に好きなのは、「障害者」でも「障害者の感動話」でもなくて、たんに「感動する自分てなんて素敵なんでしょう」というジコマン(自己愛)ではないのかと私は見ています。

私が障碍者に感動「する」話をご紹介しているのは、「生きるとはどういうことなのか」ということについて、、障害のあるなしにかかわらず人としての根本的な価値観を問うています。

ほしのもとや成り行きに逆らわず、できることだけをして、言われたことだけに従って暮らすのか。
それとも、自分の夢や希望を諦めず、前に進もうという主体的、自覚的な生き方を貫くのか。

あなたは、どちらですか

……という問いかけをしています。

前者の人は、「前に進むのは理想だが、才能や環境が整ってなければ無理だ(だから障碍者に多くを望むべきではない)」という言い訳がつきものなので、ちゃんと考えていただけるよう、自分の価値観を貫くことがより困難であると思われる、障碍者の後者の生き様をご紹介しているのです。

そういうハンデのある方々に比べれば、大半の健常者は「才能や環境が整っ」ているはずなんですが、ヤラない人はヤラないんですよね。

障害者として期待される人間像かフリーハンドな将来か

なんて前置きが長くなってしまいました。

本当は我が長男のことを書くつもりでしたが、手短に(笑)

これまでご紹介した方々の精進に比べるとささやかですが、我が長男が「前に進む」とはどういうことかを考えた場合、さしあたって、高等学校に進むことだと思いました。

長男に将来を尋ねたところ、長男は「(将来は)結婚したい」ということだったので、だったら支援学校高等部ではなく、高等学校のほうがいいという進路選択になりました。

そう書くと、「支援学校を出たら結婚してはいけないのか」という反論が来るかもしれませんが、そんなことはありません。

もとより、「障碍者に学歴なんかいらないだろう」と、当の障害児の保護者からも言われます。

まあ、そうしたご意見の方々は、まず私の言い分を聞いてください。

たとえば志村学園という支援学校高等部がありますが、ご存知のようにその就業技術科は、健常者の高等学校と比べてもかなりの難易度です。

たぶん、我が長男など、逆立ちしても入れないと思います。

しかし、志村学園は、難易度がいくら高くても、生徒が優秀でも、障害者枠において求められるスキルを磨くための学校でしかないのです。

逆立ちしても入れないから悔しくていうわけではありませんが、障害者として期待される人間像を目指すことだけが人生なのでしょうか。

支援学校高等部に入って、卒業後は一部の「優秀」な人が障害者枠で企業に潜り込み、残りはそのまま施設か作業所にトコロテン式に送り出される。これはもう定められた進路です。

それだけでいいんですか。

将来に対して、もっとフリーハンドでいいのではないかと私は思いました。

AI時代を迎え、(職能として)ただ五体満足なだけででかい面していられる時代は、終焉を迎えつつあります。

むしろ障害者にとっては、時代の変わり目はチャンスという発想があってもいいのではないでしょうか。

たとえば、重度脳性麻痺で体が自由に動かず意思疎通も難しい青年が、医療・福祉関係の事業者に自らの体を練習に使ってもらう「モデル業」もあります。

普通なら、絶対に働けないと決めつけてしまいがち。

逆転の発想というか、すばらしいですよね。

そんなワクワクする時代に、障害者は従前の障害者用の道を黙って歩いていればよい、という決めつける考え方にはとてもなれませんでした。

人生、やってみなきゃわからない

これは某高校の入学式ですが、名前を呼ばれても立ち上がらず座っているのは長男です(笑)

某高校の入学式

身体が悪くて立てないわけではなく、長男は中途障害ですから、8年ぶりに健常者の世界に“復学”して極度の緊張をしているのです。

こういう光景があると、支援学校派の親御さんは鬼の首でもとったように、「それ見たことか、子どもに無理強いするから子どもがついていけない」とコーフンして非難します。

しかし、私は逆に、本人にとってはこういう刺激こそが、前に進む契機となるのだと思いました。

もしこれが支援学校高等部ですと、失礼ながら緊張感のない生活で、いわゆる「気付き」の機会を得られない人生になっていたと思います。

もちろん、半年後に長男が高校生活を挫折していないと断言はできません。

しかし、かりに挫折しても、最初から『障害者の人生』と決めつけるよりもよかったといえることは間違いないと思います。

人生、やってみなきゃわからないでしょう。

やって失敗するリスクなんて、やらない後悔に比べれば大したことではありません。

人生、ヤルかやらないか、です。

老若男女、障碍のある無しに関わらず、です。

なお、現在広域通信制もしくはそれを併設する高等学校は、障害者の就労支援に対応するところが増えてきていることも付言しておきます。

以上、障碍者が、支援学校高等部ではなく高等学校を選択することには障碍者の保護者からすら批判があります。でも、何がいけないのでしょう、でした。

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